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わたりーわーるど

シンガーソングライター渡 琢矢のブログ。音楽のことを書いてます。

シンガーソングライター渡 琢矢のプロフィール

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ブログ「わたりーわーるど」では

旅で学んだことや旅行記。 オピニオン系の記事を書いています。

渡 琢矢について

旅するシンガーソングライター(元大阪市鶴見区音楽大使)/風景写真家/ブロガー

1988年9月10日生まれ。28歳。

大阪府出身。大阪市在住。

おとめ座。AB型。

好きなアーティスト

  • 浜田省吾さん
  • 玉置浩二さん
  • 福山雅治さん

 

今までどういう人生を歩んできたか

元々、明るい性格だったのですが、

中学を頃から人の目を異常にに気にし始めて自分の意見を言わなくなっていきます。

高校ではいらいらし始めたものの音楽と出会い救われて、

大学時代から徐々に本来の自分を取り戻していきました。

 

幼年期

ばりばりの大阪生まれ。

めちゃくちゃ身体が弱かった。

ずっと風邪を引いたり、病気をして病院で点滴を受けていることが多かった。

当時つけていた絵日記は点滴されているものばかりで、保育園にもほとんど行けない月もあった。

 

小学生時代

明るく、体育が大好きな少年。

休み時間になっては、外で走り回って汗だくで授業を受ける。

勉強は嫌いで、成績は真ん中より下くらい。

帰宅後は友達と家でずっとゲーム。

ごく普通の小学生でした。

 

渡 拓弥から渡 琢矢へと漢字が変わった

小学4年生の時、クラスのホームルームでクラスメイトの名前が入ったプリントが配られた。

「先生。渡くんの下の名前の漢字が違いますよ。」

女の子が先生に伝えてくれた。

「大丈夫だよ。渡くんは漢字が変わったから。」

ええっ?僕の漢字変わったの?」

「あれ?渡くん家族から聞いてないの?それが新しいあなたの漢字よ。」

「ええっ!」

今知ったの?ははは~」

 渡 拓弥から渡 琢矢になっていた。

占いか何かでこっちの方がいいとなったのか

詳しい理由は知らないけどしっくりきて気に入った。

 

 空手教室でよく泣いていた

小学校入学前に空手教室に通わされる。

1年生になるまでは

とにかく嫌だったのと、怖いのとで泣き続ける日々。

甘えん坊の泣き虫。

終了時間まで泣き続け、母親がいつも迎えに来ていた。

4年生の頃に大会で組手(対人戦)で敵に背を向けて泣きながらぼこぼこにされる。

とにかく誰かと闘うのが嫌でプライドなんてなかった。

嫌々ながら続けるうちに6年が過ぎ

6年生の時にはぼこぼこにされた相手と向き合えて、大会で2位に。

色々あったものの黒帯を巻くことが出来た。

 

中学時代

コンピューターゲームにどんどんのめり込み、

限られた友人としか話さなくなっていった。

硬式テニス部に所属。

部活が終われば1人か、友達とゲームをする3年間。

勉強はノートに書き写すだけで課題だけをこなしていた。

テスト勉強は長時間するものの段取りと効率が悪くて60点から70点の強化が多かった。

 

進学先の三者面談

(ゲームさえあれば何でもいい。他はどうでもいい。)

思春期で友達以外の人とほとんど言葉を発しなくなっていた僕。

考えることを放棄、人生の選択も人に任せることが多かった。

高校を決める中学の三者面談。

「この成績じゃあ受かりそうもないから確実に受かるこちらにした方がいいよ。」

「はい。」

「入れたとしても、ちょっと自分の学力よりも下の高校に行くことによって成績は上に行きやすいよ。」

「そうですね。」

親と担任の意見に従ったのと、機械にも少しは興味があったので入学。

行きたかった志望校に挑戦をすることもなく、工業系の高校に進学。

(何を言っても僕の意見は通らない。どこでもいい。)

小学生の頃の明るさはなく、人生に希望なんてなかった。

 

 いらついていた高校時代

3年間はいらいらしていた。

2年の時、

将来のためにいいということで理数科にうつる。

苦手な理科と数学のテストは3点から30点。

よく補修を受けていた。

それがストレスだった。

嫌なことをやって、たくさん課題が出て。

肌は荒れていた。

自分のやりたくないことをやる辛さをこの3年間で学んだ。

我慢の3年間だった。

 

無責任な硬式テニス部のキャプテンだった

3年生の時に所属していた硬式テニス部のキャプテンになった。

僕は人を引っ張る自信もなくてしたくなかった。

だけど気が弱くて頼まれると断れなかった。

キャプテンになってから、部活にも行かなくなり

副キャプテンが部をまとめてくれていた。

自分勝手に申し訳ないことをしたと思って自分を責め続け

もちろん部内からも責められ

自分を見失っていくばかりだった。

 

 救いをくれたのは音楽だった

高校2年の時。

初めて友達とカラオケに行った。

女の子もいて、声も出せずに上手く歌えなかった自分がめちゃくちゃ悔しかった。

もっと歌が上手くなりたいと習い始めたボーカル教室。

そこで

熱くて優しい先生と出会い、僕の人生に夢と希望を持たせてくれた。

カラオケなんて絶対に楽しくないと思っていた僕。

習い始めてからは歌うことが大好きになってレッスンが待ち遠しかった。

音楽と師匠との出会いが僕の人生のターニングポイントだと思う。

 

 関西外国語短期大学へ入学

音楽の専門学校に行こうか悩んだ。

「歌は経験で色々見て来た人の方が絶対いい歌を歌う。」

という師匠の考えに共感し、

英語が好きで色んな世界を知れると思った関西外国語短期大学に進むことにした。

家族と揉めた

「短期大学に行くならもう少し入りやすい4年生大学に行った方がいい。」

「男は大学を出ないと就職できないし給料も全然違う。」

色々言われるも自分の意見を言い、当時の学力で入れた関西外国語短期大学にに入学した。

かなりの言い合いになり

このタイミングでおばあちゃんとおじいちゃんと一緒に住むことになった。

 

自分を持てるようになりたくて一人で海外へ

短期大学には入って2、3か月しても片言の英語は話せないまま

食堂で留学生の女性に話しかけられるも、会話が続かずに立ち去られる。

悔しくて、英語を話すために国際ボランティアに参加することを決意

CIEE国際ボランティア体験談 英語を話せるようになりたくて

在学中はこのボランティアでアイスランドとドイツに行った。

この海外での経験を終えた僕は日常英会話が出来るようになり

自分の意見も少しは言えるようになってきた。

実際の活動内容と変化の記録はこちら

CIEE海外短期ボランティア活動まとめ@アイスランド

CIEE海外短期ボランティア活動まとめ@ドイツ

 

関西外国語大学へ編入

2回生になり

海外生活を送ってきた中で悔しい思いをして、英語を勉強

短期大学から大学へと行くために受験勉強を開始する

悔しい思いをすればするほど人は頑張れる

無事に関西外国語大学へ合格し、そのまま3回、4回生と通い卒業。

卒業後はカナダへ行くのだが、渡航前に死んだと聞かされていた親父と会うことになった。

 

死んだと聞かされた親父は生きていた

「あんたにお父さんはおらんから。死んだから。」

幼いころにそう告げられていた。

しかし20歳を過ぎたころ、親父は生きていることを知らされた。

「あぁ。そう。」

なぜ死んだと言われていたかは聞いてない。

2、3駅ほど先に住んでいると聞いたので会いに行った。

ほとんど他人。

会っても交わす言葉はほとんどなく僕も敬語だった。

バイクに乗せてもらい、親父の家で鍋を食べた。

帰りの駅で

「敬語じゃなくてもいいんだぞ。」と言われたのを覚えている。

複雑な心境だった。

 

歌を歌い、講師をし、記事を連載していたカナダ

大学の友達は就職していく人が多かったが

悩みに悩んで

僕はワーキングホリデープログラムを使ってカナダに1年間滞在することにした

カナダではたくさん得て帰ろうと思って行動し続けました。

  • カフェやバーでギター弾き語りで毎月演奏
  • 世界各国から来た10代の留学生の悩み相談と講師、写真撮影
  • 現地のフリーマガジン「TORJA」にてラブコメディの連載

トラブルもありましたが、様々な経験をさせてもらえました。

滞在中に日本の良さ、外国の良さを知ることが出来た。

 

世界一周20カ国の旅へ

次はいつ海外に来れるか分からない。

せっかくだからやれる時にやろうと思い、

カナダから日本への帰国前に世界20カ国の旅に出た。

出発前は不安で眠れなかったが、自分のためになると思って早い段階で旅を経験しておきたかった。

旅で撮影した写真のホームページはこちら

訪れた国20カ国(日本を含むと21カ国)アイスランド、ドイツ、オーストリア、カナダ、アメリカ、キューバ、イギリス、フィンランド、ノルウェー、デンマーク、イタリア、クロアチア、スロヴェニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、エストニア、チェコ、フランス、スペイン、ポルトガル

友達に会うために僕は旅に出た

旅の目的は人それぞれ。

僕は大学時代の国際ボランティアで出会った仲間に会いにいくのが目的だった。

旅中に様々なことが起こったが

色々な人に助けられて

>かつてともに寝食を共にした仲間たちに会うことができた。

「たくや久しぶりだな。英語しゃべれるようになったんだな。」

次に会うときは英語が喋れるようになっていることを約束していた僕。

新たな約束を交わし、帰国した。

 

就職もアルバイトも全く続かない

高校時代からバイトを辞めては次のバイトへ。

また辞めては次のバイトへ行って全然続かなかった。

28歳までで15回ほど仕事を変えた。

続かなかった原因の一部を書いた記事がこちら。

なめられるな!職場でのいじめに負けない8つの対処法と考え方

帰国後には就職するも、満員電車の中でいつもちらつく映像があった。

僕が歌を歌っている映像が頭から離れずにずっと浮かんでいた。

歌をやろうと仕事を辞め、シンガーソングライターになろうと決意した。

 

シンガーソングライター、そして音楽大使に任命された。

仕事をやめると同時に当時付き合っていた彼女と別れる。

シンガーソングライターになろうと決意したのは24歳。

カフェやバーを中心にアコースティックギターで弾き語りを始める。

渡 琢矢 大阪のカフェでのアコースティックギター弾き語り

 

コンテストで優勝

大阪市鶴見区音楽大使 渡 琢矢

2014年7月13日。

大阪市鶴見区で開催された鶴見区制40周年記念音楽祭というコンテストで、

会場のみなさんによる人気投票で第1位を会得し優勝。

鶴見区音楽大使に任命される。

当時の映像

当時受けたインタビューがこちら。

 

現在は

シンガーソングライター/風景写真家として仕事をしています。

世界を広げよう

僕の見聞きして来た世界を書き残すことは

自分のためにもなり

人のためにもなると考えています。

世界を広げるために

今日もどこかで歌ってる

いつもどこかで歌ってる

わたりーわーるど

 

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